漢字を丁寧に書くと成績が上がる

 松浦静治と申します。
 2019年3月までおよそ20年間小学校の教員をしてきましたが、多忙化する学校の中で「このままでは子どもたちに本当に大切なことを伝えられない」と思い退職しました。地域で子どもたちの宿題塾「放課後ひだまり教室」を始めましたが、「せいじ先生は漢字の丸付けが超厳しい!」と子どもから言われています。

 私は、「漢字を丁寧に書けば成績が上がる」と考えているのです。

子どもたちの成績があがらない

 私は、教師になりたてのころは授業で何をすればよいのかわかりませんでした。一応授業をやって、テストをやらせると散々な結果でした。初任校で4年→5年と担任しましたが、校長先生から「来年、6年生の担任をやってみないか?」と聞かれて、「いえ。私では、子どもたちにしっかりと学力を付けてあげることができません。6年生の担任にはしないでください」と辞退したことを、今でも大きなしこりとして覚えています。「教師の仕事は難しい」といつも思っていました。それでも3校目くらいになってくれば何をすればよいかが少しわかってきます。

 しかし、その当時勤務していたC小学校では子どもたちの成績が全然上がりませんでした。国語や算数の単元テストをすると、80点以上の子がクラスの1/3くらい(10人程度)はいますが、あとの2/3くらい(20人程度)が50点以下という状況なのです。成績上位層はいるのですが、中位がいなくて、下位にたくさんいるという状況です。それはなぜなのかと考えました。

学習の2極化

 それは、おそらく子どもたちの学習に対する意識が2極化しているのです。 進学や将来の就職を意識して塾に通ったりして熱心に学習をするグループと、学習に意識が向かずにゲームばかりしているグループと。およそ30人の学級の中で10人:20人くらいでした。

 そこで、私は毎日宿題を丁寧に見ることを始めました。誰が提出したか、提出していないかをチェックし、一人一人の漢字ノートを一文字一文字丸付けし、計算ドリルを丸付けして、1学期で3回通りはやらせました。

 これをやるには、ものすごく時間がかかります。授業間の10分休み時間はおろか、給食の時間も、昼休みの時間も、子どもたちが掃除をしている時間も宿題の丸付けをしました。ちょっとでも時間を稼ごうと、朝一番から教室で待機して登校した子からすぐに提出をさせて宿題の丸付けをしました。

 そうすると、子どもたちの成績が上がる手応えがしてきました。成績下位層にいたうちの10人程度が成績中位に上がってきたのです。

漢字を丁寧に書くと、楽しくなる

 そして、「漢字を丁寧に書くと楽しくなる」ということに気づきました。もちろん、最初のうちは「先生、厳しすぎる!」と子どもたちからは不評の嵐です。「先生が厳しすぎて、何度書いても丸がもらえない」と親に訴える子もいます。しかし、それでも、子どもたちの漢字を一文字一文字丸付けし、その日の内に直して再提出させると、子どもたちの中から「漢字を丁寧に書くのはきらいじゃない」という子が出てくるのです。そして、それに賛同して「うん。きれいに書けると、メッチャうれしい」という子も出てきました。

 「漢字を本気で丁寧に書いたらノート1ページ書くのに何分かかるのか」というのを試したこともあります。学活で、学級のみんなでやってみました。結果はおよそ20分。もちろん個人差はありますが、「辛抱しきれない時間ではない」ということがわかりました。

苦しさを超えたところに、楽しさがある

 全てのものがそうだと言うつもりはありませんが、苦労して努力した先に楽しさや達成感を見出せることがあります。漢字練習は、身近なところでそれが感じられるよい例です。漢字を丁寧に書いてその楽しさを感じた子に、「算数も同じだよ」と伝えることができるようになりました。その他の教科もそうです。「最初はうまくいかない、苦しい、難しいことでも、努力して達成したときに楽しさを感じられるものがあるのだ」というメッセージを子どもが受け取れるようになると、成績が上がってきました。

しかし、30人学級では限界も

 現在「学級の人数の上限を35人にする」と、とある政権が宣伝しています。ですが、子どもが1クラスに30人以上いたら全員の成績を引き上げるのは絶望的です。担任一人では時間が足りないのです。学級の子どもの数が多すぎます。

少人数学級で結果を出す

 C小学校の次に小規模校に転任しました。そこで私は9人の学級を担任しました。その中には算数の成績が悪くて、テストをやると40点くらいという子もいました。そこでも私は漢字を厳しく丸付けしました。そして、「漢字を丁寧に書けば楽しくなるよ」「苦しくても、がんばってやれば、勉強は楽しくなるよ」と言い続けました。

 クラスに9人しかいませんから、一人一人に目が届きます。漢字はすぐにきれいになっていきました。算数もどこでつまずいているのかがすぐにわかりました。その結果、1年間の国・算・社・理の単元テストの点数を全て足した平均点が80点を超えるほどに成績が上がりました。

しかし、点数が全てではない

 「漢字を丁寧に書けば成績が上がる」ということを書いてきました。しかし、点数が上がることが大切なのでしょうか。点数を上げることが大切ならば、たぶん、私は教師を辞めていません。いや、「点数を上げることならできる」と思ったから、私は教師を辞めたのです。

 大切なのは、「なぜ学ぶのか?」を問うことだと思うのです。そして、私はそれに「楽しいから学ぶのだ」と答えたいのです。

楽しいから学ぶ

 実は、漢字を丁寧に書かせることは、この「楽しいから学ぶ」の一つの手段です。漢字がきれいに書けるようになってくると、それが楽しくなってきます。算数もそうです。問題が解けるようになってくると、楽しくなってきます。

しかし、問題はそこではない

 しかし、私が思うのは、「それを子どもが学びたいと思ったのか?」ということです。「これを勉強しないとよい高校に入れないんだよ」と脅かされてやらされるのではなく、「これ、やってみたい!」「どうして?不思議!理由が知りたい!」そういう気持ちを子どもに持たせてあげたいのです。

自ら学びたくなるには

 人は好奇心をもっています。しかし、今の学校は、残念ながらその好奇心をすり減らしてしまっているのではないでしょうか。子どもは「面倒くさい。面倒くさい」ばかり言います。しかし、そうではない方法がきっとあるはずです。子どもが好奇心に目を輝かせ、「ちょっと難しそうだな…。でもやってみよう!」そう思って、自分から学ぼうとする手段が。

 私は、それが「体験」ではないかと思っています。「自然体験」「農業体験」「ちょっと昔の生活体験」。それらの中に、子どもたちの好奇心を掻き立て、自ら学びに向かわせるものがあると思っています。