コロナ詐欺に遭った母のその後

 こんにちは。ジブンゴトライターのさくらです。
以前お話しした、「ごっそり詐欺被害にやられた母」のその後の様子ついて書いてみたいと思います。

『母がコロナ詐欺に遭った。ごっそりやられた』 概要
一昨年秋、関東で一人暮らしをする母がコロナ渦で大きな詐欺被害に遭った。 感染蔓延の影響で静岡に住む私の訪問の足が遠のいたことや、親しい友人との交流が途絶えていた状況下で孫だと名乗った犯人たちのターゲットとなった母。我が家最大の事件。

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詐欺被害から早いものでもうすぐ1年半になる。

 コロナは収束するどころか更にしたたかに姿形を変えて感染を広げている中、母は静岡の私の家ではなく今も淡々と関東の自宅で生活を続けている。あの一件を機に、関東で一人暮らしを続ける母の家に取り付けたリビングの見守りカメラを通して毎日短時間ではあるが母の安否確認をしている。小さく丸くなった背中、狭くなった歩幅で前かがみ気味にゆっくりと室内を移動する母の姿は切なく、けれどたくましくなっているように思える今日この頃だ。

 昨年の春に1週間程、静岡の私の家に滞在した。往復とも息子の運転で移動し、暫く「田舎」の生活をした。私なりに行き先を工夫したり、退屈しないような時間配分をして目いっぱい「親孝行」をしたのだ。実家の庭で家庭菜園を行う為に、こちらでスイカやきゅうり、トマトの苗を沢山買った。しかし「スイカ」コーナーから選んだ苗が実はカボチャだったと軽く怒っている。庭にはスイカではなくカボチャがゴロゴロ転がったというわけだ。また力が足りないことで十分に土を耕せなかったのでトマトときゅうりの支柱は倒れたまま実を付けた。

 その後6月/7月/今年の2月、合わせて3回のワクチン接種のため一人でバスで接種会場に向かった。腕の痛みは有ったものの大きな副反応も無かった上、その後3本の歯を抜いた。86歳になった母の自歯は脆くなり痛みを感じた為、上手く咀嚼出来なくなってきたとのことだ。血液をサラサラにする薬を飲んでいることから多量の出血に備え、近所のかかりつけの歯医者さんではなく紹介された総合病院の口腔外科にも一人で出かけ抜歯をしたのだ。

 料理が好きな母ではあるが抜歯後の痛みによる食欲低下や栄養不足を心配した私は事前に介護食形態の柔らかいレトルトパックの食べ物や簡単に水分や栄養が摂れるゼリー飲料を大量に送った。
 実は私にも高校三年の時、近所の歯医者で親不知の歯を抜いた経験が有る。当時は酷くずさんな技術で7本程度の麻酔を打たれながらも抜歯時間は数時間にもおよび、後半は麻酔が効かず最後の方は痛みに耐えかねて「ギャーッ」と叫んだ程の酷い抜歯処置であった。その晩は出血や発熱・震えで酷い目に遭った記憶が母にも私にも鮮明に残っている。

 けれども電話の向こうで報告をしてきた母の声はすこぶる元気で明るいものだった。
「(抜歯は)ちっとも痛くなかったよ。まるで魔法みたい。あなたの抜歯の時とは大違いだった。今思うとあの時の医者は訴えてやりたいねぇ」
事前に送ったゼリー飲料に関しては、「若い人たちは何をチューチュー吸っているのかと思っていたけどこれだったんだね。」と、いたくお気に召した様子だ。

 2回目のワクチン接種の日にはさすがに副反応の発熱を心配し再び息子の運転で母の住んでいる関東の実家に行ったのだが翌日にはファミレスに出向き、久しぶりの外食を楽しんだ。「少しでいい」と言いながら、ほぼ一人前を平らげ、「ひとくちちょうだい」と言って息子が頼んだステーキも食べていた。

何なんだ、この感じ。

 私は日頃、多くの高齢者や介護をする家族と関わる仕事をしている。
介護サービスを受けている母と同世代の方や最近では100歳の誕生日を迎えた方、母よりもだいぶ年下の方々に接する機会も多い。気持ちに温度差は有るものの大抵の高齢者は「子供の世話になっている」と感じて生活している方々ばかりだ。
 以前の記事に「母が動けなくなれば私の出番」と書いたが、ある意味それは私の得意分野であり、どこか母の心身や日常生活をも「私のテリトリー」に出来ると思っていた。いや動けなくならなくてもあのような詐欺被害にまで遭ったのだから母もいよいよ「お年寄りらしく」なると想像していたのだ。

 ところがどうだろう。

 コロナ詐欺の被害の金額は「高い月謝を支払った」と強がり「今思い返しても全く疑う余地は無かった」と振り返る。受け子だった青年の事は「優しく感じの良い人だった。今頃どうしているか」と話す。母は強くなっているのか、感性が鈍くなったのか判断に迷う。
 母にとって、あの一件は単調な暮らしの中に起こった大きな出来事だった。時が経つにつれてそれはある意味新鮮な出来事として「良い記憶」として置き換えられつつある。私見だが、私の目にはそんなふうにも見えて違和感を覚える。

 関東の自宅では私が全幅の信頼をおいて通院を続けている接骨院の先生から教えてもらった体操を続け、更には女性限定の某スポーツジムに今も週1回は通っている。スポーツジムの年齢制限が85歳であるというので昨年で退会すると言っていたが最高年齢に92歳の方がいることを知りまだ通うつもりだという。
 高齢者向けのデイサービスなど利用する気はさらさら無いのだ。見守るインストラクターの方は内心ヒヤヒヤだろう。

 また驚くことに母は「株」をやっている。かなり縮小し今では1社しか持ち株は無くなったのだが毎日夕方のニュースで持ち株会社の株価をチェックしたり買物で購入した品物の会社の株価にも関心を持ちながらニュースを見ては「この株を買っておけば良かった」とか「今が売り時だ」等と想像している。そしてそれは大概の場合「当たる」そうで証券会社の若い社員から驚かれているらしい。自分でも株の天才ではないかと豪語し、もし自分が平成生まれの人間なら証券会社でバリバリ働いていたかもしれない、とまで言う時がある。

 毎日の料理番組で「今日は何を食べようか」と考え、経済ニュースで株価のチェックを行い、時間を見計らって外出しスーパーを物色する。毎日歩かないと「足がダメになる」からだそうだ。見守りカメラを通して食事をする母の様子を見ると品数や料理した物の量、実際に食べられる量は減ったが同一敷地内に住む弟に差し入れをしたり、食欲が無い昼時には「若者がチューチュー吸う」ゼリー飲料や寒いこの時期にはコンビニで買った「肉まん」が気に入っていると言う。最近では故障したガス台の手配を自分一人で行い「まだボケてなどいない」とアピールしてくる。

 株も料理も脳トレなのだ。

 脳トレといえばデイサービスで行う塗り絵や間違い探しクイズや簡単な計算ドリル等が一般的で書店でもドリルなど多く見かける。しかし母はその類の物には一切興味を示さない。

 日中、母は大抵リビングのソファに座って過ごしている。
 難聴なので大音量でテレビをつけているが見ているのか寝ているのか分からない。脚の浮腫みを防ぐため両足はソファに乗せており、その姿は明治生まれの母の姑が健在なら間違いなく注意されていた筈だ。もし私達と同居していれば「ばーば音うるさい」といって孫にテレビの音量は下げられるだろうがそんな気を遣う必要も無いし、高齢者のお気に入り番組の定番であろう「水戸黄門」や「大岡越前」の再放送を見ていることも一度も無い。リビングに置いた定点カメラで確認する母の姿は食事かソファで寛ぐか、時々銀行の通帳を確認する姿が主だ。

 母86歳。恐るべし。

 竹の木は節目が増えるほど強く、しなやかに、そして根を大地に張り巡らせて行くそうだ。樹齢が多く太い大木も良いが、時には強風に揺られたり地震や災害等の自然現象に抗うことなくその地に留まることが出来る竹の木のように歳を重ねたいと私はいつも思っている。

 思い通りにならなかった一人娘である私の結婚生活や予想外に早くから未亡人になってしまった暮らしの中で(想像だが)孤独に震え、涙しながらも自分を奮い立たせ、全ての事を自分で考えて行動し気ままに生活してきた母。自転車で転倒したり駅のホームの階段やコンビニの駐車場で転び、見知らぬ人に助けて貰うことで徐々に加齢を自覚しながら受け入れ、とうとうコロナ詐欺にも遭ってしまった母だが確実に一本の「竹の木」になっていると思う。

 昨年11月から週1回、ヘルパーさんに掃除に来てもらうことを受け入れた。本人は「掃除など自分で出来る」と主張したが私としては定期的に他者の目配りの機会を増やしたく、担当のケアマネさんと相談し母を説得したのだ。

 仕事上の経験から、同性の親子関係や介護は、良し悪しではなく異性の親に対するものよりも難しいと見える。私も母との間には口にこそ出さなかったが様々な葛藤が有った。しかしコロナ詐欺事件をきっかけに心の中で「母との和解」を果たし、「竹の木」になっていく母の姿を、今は覚悟を持って見守る事が出来ている。
 母の好きな場所で好きな物を食べ、好きなように生き切ればよいと。

 世の中はどんどん変わり、ITだのAIだの新しく便利な物が沢山出てきており私も職場では新しい機能についていくのに本当に骨が折れる。令和になり私でも時代が変わったと実感することばかりだ。コロナ渦の今、若者は自由に動ける健康な身体を持つ代わりに将来への不安や悩みも抱えているそうだが今の母は何とも自由気まま。新しい物が何でも良いと持てはやされる風潮が有るが、ワインは古い年代物の方が価値が有り値段だって高いではないか。

 歳を重ねた今の母はワインの様だ、と思う。

それならそれで良いんじゃない?

 葡萄ではなく精神が熟成したのか、解放されたたのか。
 見守りカメラ越しの映像にリビングのソファで足を投げ出したままの母の姿が動かないまま長く続いている時には「死んでるのか?」と思うことがある。しかし私の息子がこう言った。

「それならそれで良いんじゃない?ばーば、(関東の)家にいる方が生き生きしてるじゃん。」

 そうだそうだ。その通りだ。その事を忘れてはならないのだ。自歯を3本抜いて義歯を作った母は、まだ生きる気満々であり部分義歯が出来るまでの間には

「前歯も1本無いけどコロナでマスクをするので隠れて人には分からない」
「もう友達と会うことも無いかもしれない。〇〇さんも、△△さんも死んじゃった。◇◇さんは施設に入ったみたいだし大親友のSさんは目が見えにくくて電車にも乗れないんだって。」

と話す。ショックだと言いながら歯切れが良い口ぶりにも感じられる。今は亡き女流作家の宇野 千代や瀬戸内 寂聴は晩年「私、死なない気がする」と話していたっけ。母もまだまだ死なない気がする。

 そんな母だが父の墓前で以前は「もう少し待っててね」と話しかけていたのが、最近では「もうすぐ(天国に)行くかもしれない」と語りかけているとつぶやく。今朝、見守りカメラで外出着に着替えていた母の姿を確認したので電話を入れたら、久しぶりに父が眠る霊園に行くという。くれぐれも転倒に気を付けて出かけて、と電話で声を掛けた。本当は「こんな寒い中、一人でバスや電車で霊園迄行くのなんかやめとくさー」と言いたいのをグッとこらえて。

 まもなく父がこの世から旅立ってから26年。
 天国の父がいつか母を迎えに来るまで、もう少し熟して価値を増したワインのような母でいて欲しいと願っている。