高校生、文章を書く。

17歳。A型。夏生まれ。ごく普通の平凡な高校生。
好きなことは文章を読むことと書くこと。音楽を聴くことも、映画やアニメを見ることも好き。

そんな私が今、ジブンゴトを書いている。
どんなふうに書こう、と思いながら。

私がジブンゴト新聞を知り、そして初めて「書く」に至るまでには、きっかけと理由がある。

母からの唐突なLINE

春休みも後半に差し掛かった頃、朝一番に開いたLINEに母からの新規メッセージが入っていた。

「こういうのがあるけど、文章を書くの得意だしやってみたら?」
という言葉を添えて。

私はジブンゴト新聞の存在を知らなかった。

後で母からのLINEに貼ってあるリンクから詳細を読むと、どんなものか何となく私は理解した。
自分自身のモヤモヤしていること、そしてそのモヤモヤしていることと向き合ってなにかをしたこと、しようとしていることを文章にするらしい。
モヤモヤしていたことに、私は心あたりがあった。

私の高校生活、何もできないまま終わってしまう!!!

以前から感じていたことだった。

高校2年生になるタイミングでコロナウイルスが流行り始めた。これまでの生活とは打って変わり、学校も休校になった。

家の中でただ過ごす毎日。課題をいつ学校が始まるのかもわからないのに行い、仲のいい友達と昼間から暇つぶしに電話をする。

時間は無限にあるのにカラオケも映画も行けない。楽しみにしていた映画の公開日も延びた。ゴールデンウィークに遊ぶ予定だった友達との約束もなくなり、好きなアーティストの大きなライブも中止になった。

それでも退屈な毎日を何とか楽しく過ごそうと、家で一人でも出来ることを見つけて一日一日を無駄にしないようにした。

例えばお菓子を作った日。

簡単な裁縫や工作もした。

そして5月下旬から学校が始まった。
コロナはすぐ消えるだろう、と思ったが予想は大外れ。地元の花火大会は当たり前のように中止になり、夏休みもどこにも行けず、ただ長いだけだった。

文化祭も延期。結局一般客を呼ばない形での開催になってしまった。
修学旅行は消えた。学校行事で最も楽しみにしていたのに。

県外にも行けなくなった。好きなアーティストのために東京に行っていたのに、当分行けなくなってしまった。
高校生のうちに県外で行きたい場所も沢山あったが、きっともう当分行けないだろう。

あれ、私の高校生活の思い出「コロナ」しかない!?

と、思った。

高校を卒業した後、思い出すことがコロナ関係のことばかりなのは嫌だった。それ以外の記憶や思い出が欲しかった。

そしていつかコロナが終息し自分が大人になった時、「コロナ世代の人だ」「コロナで高校生活何もできなかったんでしょ?」と言われるかもしれない。
その時に「コロナ世代です。コロナのせいで何も出来ませんでした」と言いたくなかった。
コロナに屈したくなかったし、テンプレートのようなその言葉を自分の口から言うことにも抵抗があった。

どこにも行けない、計画通りにいかない、でも書くことは出来る!!

このまま卒業するのは嫌だ!!!!!

私は何度も募集サイトや他のライターの文を読み、書くかどうか迷った。2日3日くらい迷ったと思う。

文章を書くことは好きだが、色々な人に読んでもらえるような面白いものを書けるかどうか自信がなかった。自分のゆっくりとした書くスピードも合わさり、迷いはいっそう強まった。

そもそもこんなに個人的で高校生らしいことを文字に起こしたところで、面白くもなく愚痴のようなものになってしまうのではないかとすら思った。

それでもやはり、行動しないことには何も始まらない。
迷っているうちに時間は過ぎて行ってしまう。

私は応募フォームに名前とライター希望の旨を書いて送信した。

数時間後に編集長から返信があり、次の日の昼に駅前の公園で相談することが決まった。

どうしてか緊張はしなかった。

「よろしくお願いします」とメールの返信を打つ指は軽かった。

名刺を受け取ることが一番の緊張

書くことを決め、ジブンゴト新聞編集長の小野寺さんと待ち合わせ、打ち合わせを行った。

自己紹介をしてジブンゴト新聞の詳細を伺い、自分が何をテーマに書くか決めていく。

1時間くらい話し合ったが、私の中で最も緊張したのは最初に名刺を受け取る時だった。

私は返す名刺なんて持っていないし、貰った時に「ありがとうございます」と言うべきか「よろしくお願いします」と言うべきか迷った。とりあえず両方言ったのを覚えている。

私はそもそも学生なので、名刺を受け取るという機会が全くない。

「いつか自分も渡す側の立場になるんだな」などと勝手に思った。

名刺をいただいて色々な話をした。

私の初恋話やアニメを好きになったきっかけ、お世話になった先生の話など、「どれも記事にしたら面白そうだ」と編集長は言った。

少し恥ずかしかった。文字に起こせるような思い出があるとは思っていなかったからだ。

ジブンゴトとして書けそうな思い出や記憶があったが、やはりこのジブンゴト新聞を書こうと決意したことが最近のジブンゴトだという結論に至った。

伝えること、文章にすること。

書き始めて最初に思ったことは、自分のことを文章におこすのは思ったより大変ということだ。

自分が感じたことを正直に具体的に、でも伝わるようにわかりやすく文にする。

書き手の私が自分の書いた文章を読んで理解しても、読み手が理解出来なくては意味がなく、私のジブンゴトは誰の頭にも残らないものになってしまう。

文字で相手に伝えることは、このコロナ禍でマスク越しに相手に思いを伝えることと同じくらい難しいと思った。

語彙力も勿論大切だけど、相手に伝えようと思う気持ちが大切だと、この文章を書いていて何度も思う。

何度も消して、また打ちこみ、浮かばなくなったら一度閉じて深呼吸。

息抜きに本を読んで内容を考え、ジブンゴト新聞の他のライターの記事を読み、モチベーションを上げる。

決して短時間で書くことは出来ない。
すらすらと綴ることは出来ない。

もうすぐマスクを着けたままの二度目の夏を迎える。

私は最後の一文を何にするかさえ決めないまま、ジブンゴトを打っている。