キラキラしたことは苦手な僕が『高校ダンス部のチームビルディング』を読んでジブンゴトを考えた

編集部のオノデラです。
最近、一冊の本を読みました。
読んでみて「これは、ジブンゴト新聞にとってもジブンゴトだ!」と思ったので、記事にすることにしました。
今回は、読書感想文です。

僕がダンス部の本を読むまで

読んだのは、
『高校ダンス部のチームビルディング|NHK「勝敗を越えた夏2020〜ドキュメント日本高校ダンス部選手権〜」』(中西朋 著/星海社新書)
という本です。
長いタイトルですね。

タイトルの中にある「勝敗を越えた夏2020〜ドキュメント日本高校ダンス部選手権〜」というのは、NHKで放送されたドキュメンタリー番組のタイトルだそうです。
最大40人程度のチームで踊る高校ダンス部のダンス、いわゆる「部活ダンス」を取材したこの番組は、2017年に「バブリーダンス」で全国的に話題となった大阪府立登美丘高校がかつて優勝した大会として知られる「ダンススタジアム」と、そこに向かう高校生ダンサーたちを記録したものです。
この本は、そのドキュメンタリーを制作したテレビディレクターが番組内では伝えきれなかった高校生ダンサーたちの「感じ」を自身の目線からとらえなおして綴ったものです。

僕自身のことから先に書くと、子供のころから華やかなことが苦手だった僕にとってキラキラした「高校ダンス部」というのは全宇宙で一番縁遠い存在です。アンドロメダ星雲よりも遠く感じます。
クラスの中でも地味だったくせに身の程知らずにもダンス部のキラキラ女の子を好きになって、一週間後くらいにその子がサッカー部のイケメンと付き合っているのを知って妬みの海に沈んだ高校時代を思い出すと今でもゾワゾワします。

そんな僕がこの本を読んだのは、帯文にあった「同調と個性は両立できるのか?」という宣伝の文句に惹かれたからでした。

そろえよう!そして個性を発揮しよう!(ん?)

この本によると、部活ダンスの大会には他分野のダンスにはない独特な評価基準があるそうです。
それは「ユニゾン」と呼ばれる、チームメンバーの半数以上がそろって動く動きの出来を重視するということです。
このためにこれらの大会で披露されるダンス作品はチームメンバーたちがいかに呼吸とタイミングを合わせ、一糸乱れぬハーモニーを出現させるかといったことに心血を注いだものになります。

これはダンサー個々の「個性」が重視されるプロの世界のダンスとはかなり異なったものであるそうで、本の中では部活ダンスの映像を見たプロのダンサーが「これはここにしかない種類のダンスであって、プロである自分達にはおそらく踊ることのできないものだろう」という意味のことを「ポジティブとネガティブ両方のニュアンス」を込めて語るシーンが登場しています。
このプロダンサーの口ぶりの中には、「そろえる」ことによってダイナミックなステージが実現できる一方で、個々のダンサーの個性はどうなってしまうのだろう?という不安を読み取ることができるように思いました。

本業はテレビディレクターであるこの本の著者の関心はここからダンス自体の巧拙やダンス大会の勝ち負けよりも、それに向かうダンス部生徒たちの「そろえる」ことへの不思議な志向と葛藤の方へと移っていきます。
そこからはダンスの内容だけでなく、彼女たち(本の中で個人名入りで紹介される高校生ダンサーたちはその多くが女性です)のダンスの練習や大会に向かう姿勢、さらにはダンス部外も含めた人間関係や生きる姿勢自体の中にも「そろえる」ことへの奇妙なこだわりのようなものがある様子が描かれていくことになります。

例えば、ある強豪チームでひときわ高いダンスの技術力とリーダーシップで後輩みんなから慕われている中島さんというエース部員にインタビューしたときの1シーンは以下のようなものです。

彼女は幼少期からバレエを習っており、この時すでにダンス歴12年。発言も堂々としていたので練習後に改めてインタビューを申し込んだ。中島さんは今のダンス部の雰囲気や課題についてよどみなく話してくれた。だが、こちらの質問が大会作品の衣装に移った時、(〜中略〜)伏し目がちにしながらもはっきりした口調でこう続けた。

「できれば……私だけを撮らないで欲しいです」

『高校ダンス部のチームビルディング』65ページより

また別のシーンでは、チーム内の部員たち同士が驚くほど「似ている」、あるいは「似せている」ことが描かれます。

彼女たちが「寄せる」のは外見だけではない。意見もだ。
(〜中略〜)例えば大会数日前の通し練習後のインタビュー。

「踊ってみた感触は?」

1人目「みんなの気持ちがまだひとつになってなくて…」
2人目「今この子が言ってくれたんですけど、みんなの気持ちがひとつになってなくて…」
3人目「大体一緒なんですけど本当にみんなの気持ちがひとつに…」

「今の子が言ってくれたのとだいたい一緒なんですけど」というフレーズを、1シーズンの取材で何十回も聞いた。

『高校ダンス部のチームビルディング』72ページより

これらのシーンでは、ダンスに向かう彼女たちが「自分だけではなくてみんなで」というような、悪く言うと同調圧力のような雰囲気の中にいるかのように見えます。
でも、一方でそこから生み出されていくダンス作品は「そろえる」ことから生まれるパワーとそれを活かすチームごとの個性豊かな振り付けで素晴らしいものができていきます。
読み進めるうちに、これが個々人の個性を打ち消す悪しき「同調」なのかそれともみんなの力でチームを高みに押し上げようとする「団結」なのか分からなくなっていく著者の苦悩が伝わってくるようです。

一方で「バブリーダンス」の影響もあって高まっていった部活ダンス人気の中で、部活ダンスの世界全体にも重要な変化が現れます。
各校ともダンスのレベルが上がっていき、「ユニゾンを完璧にそろえる」だけでは勝てなくなってきたのです。
大会で上位入賞するためには「高いレベルでユニゾンを実現しながら、同時に個々のダンサーの個性も発揮する」という矛盾した要求を実現する必要が出てきたのです。

このことによって、「同調=団結」の世界にいた高校生ダンサーたち自身も「そろえながら個性を発揮する」という矛盾を解決する必要に迫られます。
それは、当然ながらダンスそのものだけでなく人間関係や生活にも及んでゆき…

と。
ここから先は、各人、各チームごとに一様ではないやり方でこの問題に取り組んでいく様子が描かれます。
すごく面白いので、興味がわいたらぜひ読んでみてください。

やっぱり嫌いなものはキライ。だけど。

ここまで書いておいてナンですが…
本は面白かったのですが、僕自身はこの本で紹介されている部活ダンスの世界は好きになれそうにもないなと思いました。
僕にとってのジブンゴトは、もっと個々人の中に深く根ざしたモヤモヤに、この本に出てくる言い方で言えば「個性」に根ざしたものであるように思うからです。
たとえそれが「団結して高みを目指す」ためであったとしても、「同調」は個性を打ち消す方向に働くように感じるのです。少なくとも、僕個人にとっては。

なのですが、だからといって部活ダンスがダメなものであるようにも全然思えません。
出来上がったダンス作品が素晴らしいからというのももちろんあります(本に出てくる高校名でインターネットを検索すると、たくさんのダンス動画を見つけることができます)が、それ以上にこの本の中では「はじめのうちは同調しているだけだった頼りない部員が同調の中から団結し、団結の向こう側に自分自身の個性を発揮し始めた!」というような場面がたくさん出てくるからです。
そこに出てくるダンス部員たちは、間違いなくそれぞれのジブンゴトを見つけて活躍しているように見えます。
一見したところは個性を打ち消す「同調」の中にあってそれをやりきることで個性を発揮するという、そういうやり方があるとは今まで僕は知りませんでした。

この本を読み終えて、僕は自分自身のとある記憶を思い出しました。

僕は、週に一度だけ島田駅前のサンカク公園というところで「IT相談室」というのをやっています。
昨年、同じくサンカク公園で出店しているコーヒースタンド「エルキャットコーヒー」の青木淳一さんの呼びかけで僕と青木さんを含めてお互いになんとなーく知っていた島田近圏の自営業者や個人営業のクリエイターなどが集まって話をしたことがありました。
集まった理由は実のところよく覚えていないのですが、青木さんが「なんか心細いような気がするから、一回集まってみませんか?」というようなことを言い出したのじゃなかったかと思います。(青木さん。違ったらごめんなさい。)

青木さんの会

お互いに初めて会う人もいる中で7〜8人が集まり、色々な話をしました。
それぞれ全然違うバックグラウンドを持っていてやりたいこともやれることも主義も志向も全然違いますが、それぞれのやっていることや思っていることを話せて聞けてすごく楽しかったのを覚えています。
その会がそろそろ終わりという時に、誰かがふと口にしたのでした。

「この会は楽しいけど、これを定例会にしてみんなで一丸となって目標に向かおう!とかいうのはやめましょうね。みんな、一丸となるの得意じゃなさそうですし。」

その場にいた全員が我が意を得たりとばかりに「うん。」とうなづいて笑いあったところで、その日の会はおひらきになりました。
それまでてんでバラバラの話をして同調なんか全くしていなかった人たちが、「団結しないという一点についてだけ団結した」ようで、なんだかおかしかったです。

同調と個性の間のなにか

えーと。
なんの話だったっけ…。
あ、そうだ。
僕が、今回紹介した本にあった「同調と個性は両立できるのか?」という帯文に惹かれたという話をしたかったのでした。
この本を読んで、なんというかこう同調と個性の「両立」というよりは、同調と個性の間の「中間地帯」にジブンゴトの可能性がいっぱい眠っているのじゃないかという気がしてきました。

この本を読む限り、部活ダンスの世界は「同調」をベースにした世界であるようです。
でも。
というか、そうであるからこそ、その中から見つけられる「個性」もあるようです。

青木さんの会に集まった面々は普段はそれぞれ自分のやりたいことをやっていて、「個性」を重視した生き方をしています。
でも。
というか、そうであるからこそ、時にはささやかな「同調」の中に身を置きたい時もあるみたいです。

同調と個性は「両立するかどうか」よりも、「その間を行ったり来たりする」ことの中に、みんなが前向きになれる方法が隠されていそうです。

かといって、部活ダンスが誰にとってもベストな方法というわけでもありません。
本の中では、同調的なダンス部の空気に馴染めずに退部してしまう部員というのがたくさん描かれています。

もちろん、青木さんの会が一番良い方法であるということでもありません。
みんながみんなこの会の人たちのように個人でやっていっているわけではないですし。

たぶん、人によって、場所によって、場合によって、適した方法は違うのだと思います。
時には比較的「同調」寄りの場所からだんだんと「個性」の方に近づいていったり、「個性」に近い場所から時には「同調」したりする。
そういう感じでユラユラと行ったり来たりしている中に、モヤモヤしたジブンゴトをつかまえるチャンスがあるような気がしてきました。

ジブンゴト新聞は、これからもそういうモヤモヤをせっせと捕まえようと思ったのでした。