→「島田に婿(とつ)ぎました。〜前編〜」から続き
著者は、前編記事の中で自分の夫のモヤモヤを見つけようとインタビュー試みました。
でも、そこから見えてきたのはなんと私自身のモヤモヤでした。
今回の記事は、妻の目から見た夫へのモヤモヤの話です。
そもそもなぜ私がモヤモヤしていたのか
私は高校を卒業後、「こんな田舎に住んでいられっか!東京でビッグになってやるぜ!」
と意気揚々と上京します。
ビッグになるとはどういうことなのか、今もって謎ですが…。
その後10年以上(途中1年地元に戻った時期もありますが)都内に住むことに。
まぁ、でも合わなかったんでしょうね。
体調が年々悪化していきました。
東京で出会った夫は、そんな私をずっと支えてくれていたワケです。
結婚すると決めた時に、私は漠然と夫と東京暮らしをするものと思っていました。
しかし、夫は東京での仕事も辞めて、静岡に居を構えることを選択します。
この時、私の中で「安心」という思いと「申し訳ない」という思いが混在していることに気付きました。
何の縁もない、友人もいない、実家にも帰りづらい。
そんなところに一生住むことは辛くないのかと。
私の体調が悪いせいで、夫に無理な選択をさせてしまったのではないかと。
結婚して6年、このモヤモヤは、常に心のどこかに存在していたように思います。
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夫は思ったより楽観的だった
夫は静岡で比較的安定した職につくことができました。
仕事の不満は大なり小なりあれど、そこまで愚痴をいうこともありません。
しかし、夫には静岡に友人がいません。
私はそれを心配していました。
仕事が終われば、真っ直ぐ家に帰ってきます。
休日は家族と過ごします。
時には友人とお酒を飲みたい時もあるだろうなと。
インタビューをしている時に、
「時々、友達と飲み屋でくだを巻いたりしたい時はあるかな」
というところに、夫の本音が少し見えた気がしました。
ただ、一言「今までなり行きで生きてきたから」という言葉。
この言葉に夫の人生観が垣間見えたのです。
〜自分の置かれた場所を受け入れて、いかに楽しく生きられるか。〜
彼は別に友人がほしいわけでもなく、仕事で何か成功したいだとか、大金持ちになりたいわけでもない。
のんびり、平穏に、そこそこに。
1人の時間や、家族との時間を、めいっぱい楽しんでいるのではないのか。
私の勝手な固定観念で、夫が「寂しい思いをしている人」と決めつけてしまっていたことを、深く反省しました。
多くの友人に囲まれ、休日はバーベキューやホームパーティー。
バイタリティに溢れ、好きなことを仕事にし、自分の思うままに生きる。
私の「幸せ」の価値観を並べた時に、まるで空虚なハリボテ感を感じたのです。
夫にとって「幸せ」とは、今、ここで生きていること。
とてもシンプルで、楽観的でした。
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幸せの価値観
夫は自己顕示欲という欲がゼロに近い男です。
SNSもやらないし、誰かから評価されたいとかいう気持ちが微塵もありません。
自分が納得すれば、自分が良いと思えばそれでいい。
これってなかなかできないことだと思うんですよ。
SNSを見れば誰もが、
「〇〇に行きました♪」
「〇〇と遊びました!」
「〇〇ちゃんプレゼントありがとー!」
「私って幸せものです♪」
誰かに認めて欲しくて、誰かにすごいねって思われたくて、必死なんです。
でも夫は、幸せは自分の中だけで完結できるし、自分で自分を満足させられる。
焼津に釣りに行って50cmの大物のクロダイが釣れたとしても、せいぜい家族に自慢して、自分で捌いた魚を振る舞うことが、最高の幸せなんだと思います。
夫は昔から音楽が好きで、作詞作曲なんかもするのですが、それを世に出すわけでもなく、自分で楽しむんですよ。
これだけ世の中が「誰でも発信できる」流れになってきているのに、決して世に出さないし、公言しない。
夫はいい意味で世間と壁を作って、自分だけの「秘密基地」の中で楽しみたいのかもしれません。
その秘密基地の中に、唯一足を踏み入れていいのが、私と娘なんでしょう。
なり行きで生きてきたからこそ、その時その時で自分の「ベース」を作ってきた夫は、今、家族を「ベース」として、自分の幸せを築き上げていたのです。
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夫が大切にしている「普通」であるということ
話は私の上京前に戻ります。
私がなぜ「東京に行ってビッグになってやるぜ!」と地元を飛び出したか。
それは、代わり映えのしない地元で、「普通」の人生を送りたくないと思ったから。
普通の人生を送るような人間ではない、特別な人間なのだと思っていました。
これぞ黒歴史!若気の至り!今思うと恥ずかしい限りです。
私は「普通」であることが「つまらないこと」であるという価値観で生きていました。
しかし、歳を重ねるごとにわかってきたこと。
それは「普通」であることが一番難しくて尊いということ。
夫と一緒にいることで、価値観が覆されていったのです。
「普通」とは、絶妙なバランスで成り立っているもので、少しでもネジが緩んだり、負荷をかけすぎると、一瞬で崩れてしまいます。
自分が置かれた場所で、バランスよく「普通」を保つこと。
保守的な考えだと揶揄する人もいるかもしれません。
「もっと、冒険しようよ!人生一度きりなんだから!」
と煽ってくる人もいるかもしれません。
夫はそんなことを言われても聞く耳を持たないでしょう。
彼は一度きりの人生を、なるべく平穏に、波風立てず、普通に過ごしたいのですから。
だからといって、他人の人生を咎めたり、とやかくいうことはありません。
おそらく、他人にあまり興味がないのです。
だから他人の評価も気にならない。
とはいえ、私はどちらかというと冒険したい派です。
今は夫が築いてくれた「家族」というベースを拠点にして、せいぜい日帰り旅行程度の冒険をさせてもらっています。
他人に評価されようと思わない生き方。
「普通」の価値観、家族が平穏無事であることの幸せ。
私は夫から、多くの良い影響を受けていることに気付きました。
今回この取材は「見知らぬ土地に住むことになった男の哀愁」みたいな内容になるかなと思ったのですが、私の思惑は外れましたね。
結論。
「どこに住んでいようが、家族が元気で笑って過ごせればそれで幸せ」
→前編記事「島田に婿(とつ)ぎました。〜前編〜」はこちら
<文と写真> Saori ライターとかいろいろ