こんにちは。
ジブンゴト編集長のオノデラです。
島田工業高校に来ました。
今日はここで、都市工学科の林優弥先生のお話を聞きます。
林先生は関西の出身で、土木技術の勉強を大学院まで続けたあとに東京の大手建設会社で仕事をしていたそうです。
そこで3年働いたあとに島田に移り、今は島田工業で土木や測量のことを教えています。島田に来て5年目になるそうです。
関西〜東京〜島田と移りかわる過程にはどんな心境の変化やジブンゴトがあるのかを聞こうと思います。
林先生と出会う
▼編集部オノデラ
こんにちは。
今日はよろしくお願いします。
▼林先生
よろしくお願いします。
▼編集部オノデラ
林先生の経歴を伺うと、学生の頃から土木技術のことを勉強して大学院まで進み、建設会社でその技術を活かしてお仕事をして、島田に移って工業高校で土木技術を教えておられるということがわかりました。
学生の頃から一貫して「土木技術」ということに強いこだわりがあるということなのかなと思って今日はここに来ました。
その中で、建設会社の「現場」で働いていたのが工業高校という「教育」の場に移られたことにはなにかきっかけがあったのでしょうか?
というあたりを聞かせてください。
▼林先生
あ。
そうか。
土木技術。そう見えますよねえ…。
▼編集部オノデラ
あれ。
なにか歯切れが悪いですね。(笑)
私が早速まちがえているでしょうか?
▼林先生
まちがえているということでもないのですが、私のこととして説明するのであれば、「柔道」のことから説明した方がわかりやすいかなと思うんです。
▼編集部オノデラ
柔道?
これはまた、事前に私が想像していたのとは違う話が出てきました。
そういえば校舎の向かいに道場のような建物がありましたね。
▼林先生
そうです。
あれが、柔道部の道場です。
実は、柔道部の顧問でもあるんです。
▼編集部オノデラ
そういうことでしたか。
では、柔道の話から聞かせてください。
柔道から始まって土木に出会う
▼林先生
最初に柔道と出会ったのは、小学生の頃です。
そのころは神戸に住んでいたのですが、近くの警察署に柔道を教えてくれる教室があって、そこで教わるようになったのが最初です。
身体を強くしたいとか、人を助けられるようになりたいとかいう動機だったと思います。
私の家は母子家庭だったのですが、それも関係してそういう気持ちになったのかもしれません。
それでやってみたらすごく楽しくてそのまま中学でも続けていたのですが、高校に上がるときに柔道の強い学校に行きたいと思ってそういう学校を選びました。
その学校が神戸にあった市立の工業系の高校だったのですが、入学した学科が土木・建築系だったんです。都市工学科という呼び名でしたが。
土木との出会いはそこが最初です。
▼編集部オノデラ
土木に興味があって土木の学校に行ったのではなく、柔道のためだったんですね。
▼林先生
そうですね。
最終的には教員になりたかったので卒業したら大学に行こうと思ったのですが、高校で土木や建築の勉強をしており、悩んだ末に大学は土木系へ進むことにしました。
▼編集部オノデラ
あれ。
高校を卒業する頃にはすでに教員になりたいと思っていたんですね。
▼林先生
教員になりたかったのは、中学の頃からです。
中学のときの柔道部の先生がすごく親身に指導してくれる先生で、自分も教員になって柔道の指導をしたいなと思っていました。
▼編集部オノデラ
そこでも柔道が出てくるんですね。
学校を出たらすぐに教員になったのではなくて、建設会社に3年勤めたのはどういうわけだったんですか?
なにか心境の変化が?
▼林先生
教員になって柔道の指導をするにしても、教員としての専門性は土木になるなと思っていました。
それで、高校3年間担任をしていただいた先生から「土木の指導をするなら一度は土木の現場を知った方がいいよ」ということを言われたのがきっかけです。
これは、その通りにしてよかったと思っています。
東京の大手の建設会社に勤めて高速道路などの大きな建築物の現場で工程管理や安全管理の仕事をしたのですが、そのときに実際の現場でどんな技術がどういうふうに使われているのかを目にできたのは高校で指導するようになってからもすごく役に立っています。
今は測量技術や構造力学を教えていますが、授業で扱うような基礎的なことや原理的なことが、現代の実際の現場で使う技術ではどれくらい高度化していてどのように違うかということを自分の体験を元に説明できるのは、そのときの経験があってこそだと思います。
▼編集部オノデラ
なるほど。
工業高校は社会と近い
▼編集部オノデラ
では、今のことを少し教えてください。
島田工業高校に勤めるようになってから、5年目ということでしたよね。
▼林先生
はい。
建設会社に勤めているときに結婚したのですが、妻の実家がある静岡県の教員採用試験を受けて、合格したので二人で静岡県に移ってきました。
静岡県内には土木系の学科がある高校が4校あるのですが、その中から島田工業高校に配属されました。
授業では測量や土木の歴史、構造力学などを教えています。Auto CADやJwCAD、3DCADなども扱っています。
あとは、柔道部の指導ですね。
▼編集部オノデラ
先ほど、測量の授業を見学させてもらいました。
時々道路などで作業しているのを見かける三脚のような測量器を扱う授業でしたね。セオドライトというのでしたっけ。
ああいう技術は今でも現役なんですか?
私の知っている範囲だと、ドローンを飛ばして空中から測量するような技術も業務レベルで使われているというようなことも聞いたことがあるのですが。
▼林先生
現役です。
ただ、おっしゃるようにもっと高度な技術も現場では使われています。
建設会社勤務だった頃に大規模な現場の技術に触れたことが役に立っていることを先ほど言いましたが、それ以外にも、島田や近圏の建築会社さんなどに協力してもらって生徒を現場見学に連れて行くこともあります。
中小の会社さんでも、先端的な技術を持っている会社もあるんですよ。
▼編集部オノデラ
柔道部の方はいかがですか?
強いのですか?
▼林先生
今年は部員がちょっと少なくて4人です。
先ほどご覧になった校舎の向かいにある道場を使っています。
「練武館」という道場です。
強いかというと。
ええと…強いとは言いがたいですね。
中学時代から強いような生徒は初めから柔道部の強い私立に行ってしまうので、島田工業の柔道部は高校に入ってから柔道を始めた生徒も多いので。
でも、基礎的なところから一生懸命練習しています。
▼編集部オノデラ
工業高校教員としての林先生は、「土木技術」と「柔道」という二つのことに取り組んでいるという感じなのでしょうか?
▼林先生
二つといえばそれはそうなのかもしれませんが…「教員」ということで言うと、土木技術も柔道も全部を合わせて一つのことのようにも感じていますね。
▼編集部オノデラ
それは、どういうことでしょう?
▼林先生
ここは工業高校なので技術的なことや専門的なことも学ぶというところが普通高校と違うわけですが、それ以外にも、なんて言うか、「社会が近い」というようなところがあると感じているんです。
▼編集部オノデラ
それは、進学する生徒よりも就職する生徒の方が多いということでしょうか?
▼林先生
それもそうなのですが、具体的な「社会」のイメージが近いというか。
例えば私のいる都市工学科であれば建築会社や公務員などへの就職が多いわけですが、そういう特定の業界や会社が、ここを卒業したら進む場所として在学中からイメージしやすい状況があると思うんです。
単純に、それらの会社で現場見学させていただくなど、接する機会も多いですし。
▼編集部オノデラ
なるほど。
自分自身が近い将来働いている状況というのが、実際の時間的にもイメージ的にも近くにあるような感じがあるのですね。
それと、先ほどの土木も柔道も一つのことに感じるというのはどういう関係があるのでしょうか?
▼林先生
土木業界に進むから土木技術が役に立つというのはもちろんそうなのですが、それらの業界で働く時の心構えや態度といったものは、柔道や、柔道に由来する考え方などを通した方が指導しやすいと感じています。
単純な言い方でいうと体育会系の雰囲気のある会社が多いからというような言い方もできるかもしれないのですが、それだけではなくて、礼儀とか、物の捉え方や見方とか…。
▼編集部オノデラ
なるほど。
「土木技術」だけが土木業界で働くために必要な全てではないですもんね。
職場での人間関係の作り方とか態度のとり方とか、林先生がずっとやってきた「柔道」もすごく役に立つというか、相性の良いところがあるのですね。
そう考えると確かに「土木技術」も「柔道」も、生徒たちが働くための準備を整えるための方法という意味では一つのもののようにも思えますね。
紆余曲折が、ひとつにまとまる
▼編集部オノデラ
林先生。
▼林先生
はい。
▼編集部オノデラ
私は今日ここに来る時に、林先生は民間企業から工業高校の教員に移られたということを聞いて来ました。
それで、その方向転換にはどんなきっかけや心情の変化があったのかというようなお話を伺えればと思っていました。
そこに色々な紆余曲折があって、それが林先生の「ジブンゴト」なのかなと思っていたんです。
▼林先生
なるほど。
▼編集部オノデラ
でも。
なんて言うか…そのイメージは、ちょっと間違っている感じがしますね。(笑)
もっとこう、林先生の辿ってきた道は一貫しているというか。
▼林先生
一貫しているでしょうか。(笑)
確かに紆余曲折はしていますよ。
ただ、紆余曲折して辿ってきたことが全部今の自分にとって大事なことにつながっているということはあるかもしれません。
▼編集部オノデラ
中学の時に柔道の指導をしていた先生と出会って教員になりたいと思った。
柔道のために選んだ高校で半ば偶然土木と出会った。
最初は別のことだった土木と、柔道と、教員が、だんだんと一つのことにまとまっていった感じがします。
一つのことに邁進したというのとは違うのだけど、でも、まとまりがあるというか。
不思議な縁みたいなものを感じますね。
▼林先生
そうなのでしょうか。
まあ、運が良かったということもあると思うのですが。
でも、そう言われると、そういう説明もできるのかもしれませんね。
▼編集部オノデラ
そういうジブンゴトもあるのだなあと、発見でした。
今日は素敵なお話を聞かせてくれてありがとうございました。
▼林先生
ありがとうございました。
<文責> 編集部(小野寺) 島田の小さな制作会社カギカッコ